岩手の風土記シリーズ(13) 盛岡三大麺(わんこそば編) 盛岡在住の方なら避けては通れないテーマが「盛岡三大麺」である。この三大麺とは言わずもがな「わんこそば」、「じゃじゃ麺」そして「盛岡冷麺」である。この盛岡三大麺についてそれぞれの云われ等について語っていこう。まず第1回目は「わんこそば」についてである。盛岡在住の方は、一度は食べたことがあるかとは思うが、二度三度と食べる人は少ないと思う。一般的に盛岡市民が常時食する食べ物ではく、観光客向けのご当地名物ということである。給仕さんの「はい、じゃんじゃん」とか「はい、どんどん」の掛け声に合わせて、薬味を少しずつ入れながら食べ、お客様が満足するまで何杯でもお代わりをして楽しむユニークな郷土料理である。このミソは、食べ終わるタイミングである、お椀にふたをしないと投了にはならないので、油断をしていると給仕さんが次の1杯を投入してくることである。モタモタしていると次々に蕎麦が入ってくるので、気を付けなければならい。筆者も30数年前に、バスセンター前にあった「やぶ屋」で食したことがあるが、76杯食べて、ただ苦しいだけの記憶があり、やはり蕎麦はじっくりと味わって食べるに限ると思う。さてこのわんこそばは、毎年「全日本わんこそば選手権」なる催しが開催されていて、一般の部では15分間に何杯食べるかを競う競技である。昨年は11月につなぎ温泉で開催され、東京の方がなんと451杯たべて、ダントツで優勝し2連覇を達成したようだ。しかも5分のハンディキャップがついていて、実質10分での記録である。計算すると約1.4秒に1杯を食べるという驚異的な速さであり、食べるというより飲み込むという感じかもしれない。ちなみにわんこそば15杯が普通のそば1杯分という説がもっぱらであり、優勝した方は約30杯のもり蕎麦を食したことになる。いやはや恐れ入った事である。では次に「わんこそば」の由来をひも解いてみよう。「わんこ」とは木地椀をさす方言だが、わんこそばの由来は定かでないが、花巻説と盛岡説とあるようだ。花巻説では、370年ほど前に南部氏27代利直公が江戸に上られる途中、花巻に宿を求め、そのとき土地の人々が郷土名産の蕎麦を平椀に盛って差し上げたところ大変喜ばれ、何度もお代わりをされたという説。一方盛岡説は、平民宰相として知られる原敬が盛岡に帰省してそばを食べた際に、大のそば好きであったことから、「蕎麦は椀コに限る。」と言われたことから広まったのではないかという説である。岩手はもともと寒い土地でも採れる蕎麦が、昔からつくられており、よく食べられていた。 岩手の山村では、田植えや稲刈り、お祭りや婚礼などで大勢の人が集まる宴会で、「そば振る舞い」という、宴会の最後に蕎麦を振る舞うしきたりがあり、わんこそばのルーツと考えられてる。一方県南部の方では同様に、「もち振る舞い」というしきたりがあり、同じように宴会の時にはもち料理が良く出でいた。この違いは南部藩と伊達藩の文化の違いによるものと勝手に解釈している。この「そば振る舞い」では、そばはどんなに大きな鍋で煮上げても10人前分で、1度に全員分の蕎麦は作れないので、10人前を100のおわんに分けてお客に出し、その間に次の蕎麦を煮上げ、また小分けしてお客に出す。こうしたおかわりをどんどんすすめる食べ方が、現在のわんこそばの形になったと考えられている。すなわち、「わんこそば」は、盛岡市民の来客への最高の「おもてなし」の一つであると言える。では「わんこそば」はどこに行けば食せるのだろうか?花巻では「やぶ屋総本店」、盛岡では「東屋」、「直利庵」、「初駒」、「やぶ屋フェザン店」で提供している。どのお店でも、100杯以上食べると、証明書や手形がもらえるようだ。またその数え方にも独特なものがあり、食べたお椀をならべる定番のものや、お椀の代わりにマッチ棒を並べていくスタイルもあるという。また体験型のコースもあり、わんこそば30杯限定のコースや、お試し10杯コースなどもあり、無理なく楽しめるようになっている。盛岡近郊は蕎麦の産地でもあり、初夏にはそば畑に白い花が一面に咲く景色も壮観である。また近郊には蕎麦の名店も多くあり、いずれ機会があったら、国道282号線沿いの隠れたそばの名店を紹介したいと思う。落語で江戸っ子の一人が、死ぬ間際に一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりと浸けて食べたかったという話がある。当時江戸ではそばは庶民の代表的なソウルフードの一つであった。蕎麦好きは、つゆをほんの少しだけしかつけなかったという。江戸っ子の気風の良さと、粋な姿と見栄っ張りの姿を現した江戸小話の一つである。「おうっ!ひとつ蕎麦でも手繰って(たぐって)いかねえかい!」なんて会話が江戸っ子の間では盛んに語られていたことだろう。当時は「蕎麦を手繰る(たぐる)」、または「蕎麦をすする」というのが粋な江戸っ子の言い方であった。もともと大工たちが、もり蕎麦のことを下縄(さげなわ)と呼んでいたことが語源らしい。蕎麦を縄に見立てて食べるを手繰る(たぐる)と言った、ちょっとべらんめえな感じに江戸っ子の気風が感じられる。一方熱いつゆをぶっかけたかけ蕎麦は、いかにも汁ごと蕎麦をすするという感じがしなくもない。せっかちな江戸っ子が大急ぎで、小腹を満たした様子を彷彿とさせる。手繰る(たぐる)も、すするも、江戸の庶民が蕎麦の食感を楽しんでいたからこそ生まれた表現だ。次に誰かを蕎麦屋に誘う時には、「ちょいと手繰っていかないか」などと言ってみるのも一興である。最後に新型コロナウィルスの早期終息を祈念して、「ソバッチ」と「アマビエ」の絵を添付する。これからは新種のウィルスとの共存の時代がやってくる。新しい生活スタイルがどんどん提案されてくると思うが、基本は「うがい」・「手洗い」・「マスク」に尽きると思う。皆さんも気を付けてお過ごしください。