岩手の風土記シリーズ(11) 東北のお伊勢さん知っていましたか?
「お伊勢さん」と親しく呼ばれるのは、伊勢神宮のことであり、正式には「神宮」と呼ばれる。神宮には、内宮(ないぐう)と、外宮(げぐう)をはじめ、14所の別宮(べつぐう)、43所の摂社(せっしゃ)、24所の末社(まっしゃ)、42所の所管社(しょかんしゃ)があり。これら125の宮社全てをふくめて神宮という。そして、日本人なら一度は訪れたいパワースポットである。この内宮は皇室の御祖先であり、太陽にもたとえられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っていることは周知のことである。この内宮は約2000年の歴史があるとされている。江戸時代には伊勢参りのことを「お陰参り(おかげまいり)」とも呼ばれていて、「お陰詣で」とか、「抜け参り」ともいわれていた。当時から伊勢参りは江戸市民をはじめ、多くの人々の憧れの的であった。しかし簡単には行ける場所でないため、「御師(おんし)」と呼ばれた、ツアープランナーの存在が欠かせない存在となっていた。また、抜け参りとは、大屋や家族に内緒でツアーに参加することで、当時は信心の旅ということで、沿道の施しを受けることができた時代でもあった。抜け参りは一昨年NHKで放送した、「ぬけまいる〜女三人伊勢参り」で記憶にある方も多いかと思う。この日本人の心のふる
里ともいえる「お伊勢さん」が実は東北にもあるのだ。北上市村崎野にある「天照御祖神社(あまてらすみおや 【東北のお伊勢さんの本殿】
じんじゃ」通称「伊勢神社」である。盛岡からだと、国道4号線を南下し、花巻との市境にある北上北部工業団地を左折して、東北本線の跨線橋を超えて、直ぐの信号を右折して約1km程行った所である。この神社の周囲は樹齢300年を超える杉林に囲まれた伊勢山公園として整備されている。ではなぜ伊勢神社と呼ばれているのだろうか?事の起こりは江戸時代初期のことである。南部藩士・奥寺八左エ門は、荒涼とした不毛の原野だった北上地方の新田開発に奔走していたが、なかなかうまくいかず失敗と苦労を重ねていた。そして伊勢の内宮(皇大神宮)に工事の成就を幾度も祈願したところ、「白キツネ伝説」といわれるお告げがあり、工事を成功させることができたそうだ。そのおかげとして1679年、伊勢神宮より御分霊いただき伊勢神社を建立したとの事。伊勢神宮内宮に祀る「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の分霊が伊勢神社のご祭神となっているため、「東北のお伊勢さん」と呼ばれている由縁である。ちなみに「白キツネ伝説」とは、かの奥寺が用水路工事をしていたが、その工事が困難を極めていた。この時伊勢神宮に工事の成就を祈願すると、夢で「白いキツネが堰(せき)造りを助ける」というお告げを得たという。後日二人の人物が現れて取水口と水路の位置を示したが、名を訪ねると白いキツネになって姿を消したという。この二人の指示通りの工事を進めたところ、堰を無事完成することができた。これにより、北上平野の開拓が成就したという。この古事にちなんで建立したのが、藤沢稲荷神社であり、最近キツネの石像が新たに建立されたようである。では本筋にもどろう。この伊勢神社は東北では唯一の伊勢神宮の分社であり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を御祭神とする本殿のほか、8つの境内社(春日神社、八幡神社、厳島神社、稲荷神社、戸隠神社、薬師神社、出雲神社、八坂神社)が祭られている。いつかTVで、伊勢神宮は個人的な願いをするのではなく、国家安寧や世界平和などの地球規模、もしくは人類全体のことを願う場所と言っていたことを記憶している。しかし、このお伊勢さんは個人的な願いも聞き入れてくれるようだ。本殿および八の境内社をお参りすれば、全ての願いが満たされそうである。また、この神社周辺は伊勢山公園として遊歩道も整備されていて、北上景観資産としても登録されている。駐車場に車を止めて、参道の階段を登りきると、本殿が見えてくる。そこに佇んだ瞬間、静寂の中にピーンと張りつめた空気を感じたのは気のせいであろうか?本殿を囲むように立つ八つの境内社、まさに神々しい雰囲気を醸し出していた。なにか日本神話の世界に迷い込んだような気がした。また境内にある「おかげいす」は花崗岩を丸く加工しピカピカに磨きがかかっていて、これに座って境内の“気”をより深く感じることができるそうだ。
【駐車場と社務所】 【表の看板】 【参道の階段】
【参道からの本殿】 【神楽殿】 【おかげいす】
【表参道から望む本殿】
【境内社 パンフレットより】
今回、ご近所の人の話を聞いて初めて参拝したが、近くにこんな神社があるとは思ってもいなかった。初詣は近くの氏神様をお参りするのが常であったが、このお伊勢さんを参拝することで、伊勢神宮に行った気分に浸るのもいいかもしれない。初詣の時期は人で混雑するとの事なので、少し落ち着いてからの参拝がいいかな・・・。パンフレットにも書いてあったが、御利益だけを求めるのではなく、「神を感じて」今生きていることに「ありがたい!」を感じて、感謝を込めてお祈りすることが、本来の神に対する姿勢だと・・・
筆者も少しは神様に感謝しないと(山の神に・・・)
それにしても、岩手にはまだまだ新鮮な発見があるとつくづく思う今日この頃です。