いわての風土記シリーズ(8) 岩手山
岩手山は標高2,038mで、今でも活動を続けている活火山である。また、岩手県の最高峰であり、県のシンボルの一つとされている。盛岡近郊に住んでいる人には、あまりに身近過ぎて気にも留めていない方が多いかと思うが、昔から深い信仰の対象であったことは言うまでもない。岩手山は雫石町、滝沢市、八幡平市にまたがる、独立峰に近い山である。東の盛岡側から見る姿は富士山のように長い裾野を引く整った形で、 【盛岡から望む岩手山】
「南部片富士」や「表岩手」とも呼ばれる。雫石町や八幡平市松尾方面から見ると、外輪山の連なりが凹凸をなし、「裏岩手」と呼ばれる。これには異論を出す人が多くいそうなので詳細は延べないが、南部藩の居城があった盛岡側を「表」とすることも致し方ないかと思うところである。また盛岡駅前の開運橋から撮影した岩手山はあまりに有名である。ところで、岩手山は別名「岩鷲山(がんじゅさん)」とも呼ばれている。本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われる。春、表岩手山には雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、これが山名の由来になったとも伝えられる。今回は岩手山をいろいろな方面からの撮影した写真とともに、岩手山にまつわる逸話を紹介しよう。
さて、岩手山は雫石町、滝沢市、八幡平市をまたがっているが、それぞれの地域から見た岩手山の景観もそれぞれ独自のものがあり、それぞれに自慢の風景であることは言うまでもない。
【御所湖から望む】 【春子谷地から望む】 【滝沢前潟方面から望む】
個人的には春子谷地からの岩手山は壮大感があって好きな場所である。
【四十四田ダムから望む】 【一本木から望む】 【渋民啄木碑から望む】
渋民方面からだと、東側からの絵になる、この岩手山は左右の稜線がきれいに映しだされていて、女性的な趣を醸し出しているように感じる。
【八幡平市大更から望む】 【八幡平市両沼から望む】 【焼け走りから望む】
大更方面からの望む岩手山は、筆者の毎日見ている姿である。やはり筆者にとって一番落ち着く姿である。
【八幡平市松尾から望む】 【松尾IC付近から望む】 【産直アスピーテから望む】
松尾方面から望む岩手山は、いわゆる北側からの眺めである。この岩手山はどこか荒々しく男性的な尊厳に満ちた姿に思えるのは筆者だけであろうか?
さて、これからは岩手山にまつわる逸話を紹介しよう。岩手山は男ぶりのよい雄神で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。このことを知った姫神山はやきもちをやく日々でした。耐えかねた岩手山は姫神山を追い出すことにし、その役をオクリセンという家来に申し渡したが、姫神山は遠くへ行こうとしなかった。オクリセンは板ばさみになって困ったが、姫神山に同情してしまい、北上川をへだてたばかりの所に座らせた。岩手山の怒りは凄まじく、命令にそむいたオクリセンを呼びつけて首を切り落とした。オクリセンの山のてっぺんが平たいのはそのためで、切られた頭は岩手山に食いつくように飛んで鞍掛山になった、という話だ。こうしたことから、姫神山に登る人はその年は岩手山に登ってはならず、岩手山に登る人は、姫神山に登ってはならいという。もしもこの禁を破ると、必ずその者に災厄があるのだそうだ。さらに別地域の言い伝えは、早池峰山が男神であり、姫神山に横恋慕して自分のものにしたという説もある。したがって早池峰山と岩手山は仲が悪くいつも姫神山を争って喧嘩している。その証拠に夏に三山が同時に 【好摩から姫神山を望む】
晴れることは決してないという説もある。いずれにしても妙に人間臭い話であり、神様も当時は嫉妬や妬みがあったのかと思うと妙に落ち着くのは筆者だけであろうか?
最後に渾身の1枚(上坊の一本桜から望む岩手山) 。桜はまだ少し早かったが、裏岩手の荒々しさと、滑から稜線を映し出したものだ。数年前の雪崩のあとが、鯉が昇っているように見えるのは気のせいか?
【上坊の1本桜から望む】